現代アーティストの保科豊巳さんと東京, 神宮前の小池荘

2014年5月22日

ちょうど一年前の今頃、現代アーティストの保科豊巳さんに会う夢を見た。彼にはもう十年以上も会っていないので、夢の中での再会は感無量といった印象のものだった。 
私は以前、二〇〇二年十一月の南インドに滞在していた時期に、同じ時期に長期でニューヨークに滞在していた保科豊巳さんの元へ、インド関連本とインセンス、そして現地で描いたドローイングを本に挟み国際郵便で送ったことがあったのだが、夢の中での保科さんは「あの時送られてきたものはちゃんと届いているよ」と話していた。インドからの国際郵便は無事に届かなかったこともあるので、夢の中ながら無事に届いていたという彼の返事を聞いてホッとしてしまっている夢の中の自分がいたのだった。 
そして、私は夢の中で会った人に後日偶然に実際に会う機会が訪れてしまったという経験が以前に何度かあるので、もしや久しぶりに保科豊巳さんとの再会の機会が訪れるのだろうかとも思っていたのだが、結局彼との再会の機会はその後訪れていない。しかしながら保科さんの夢を見てからまもなくして、母校の東京藝大から不定期に送られてくる冊子の中に保科豊巳さんの美術学部長就任などについて書かれた彼自身による寄稿文と最近の彼の写真が掲載されているのを見かけたのだった。保科さんが油画科の教授に就任していたのは以前から知っていたのだが、去年の春からは美術学部長にも就任することになったようだ。(註:1)
私が保科さんに最後に会ったのは、二〇〇〇年の十二月、私の大学院時代の研究室の教授でまた当時の美術学部長でもあった大沼映夫教授の退官記念展のパーティーの時。その時期の保科さんはまだ助教授であったような記憶がある。その際保科さんには「お前はまたインドやバリ島に行って瞑想とかばっかりしているんだろ」といった冗談っぽいことを言われたりしていた。また同じ会場にきていた当時の経済企画庁長官だった方から長官の肩書の入った名刺を偶然もらって喜んでしまった私が、その名刺を保科さんに見せにいったら「俺はそういうのは嫌いだ」とあっさりと返されてしまったことがとても印象に残っている。 
私の個人的な印象では、保科豊巳さんはタオ(道教)の賢者のような佇まいのある人で、彼のちょっとした仕草やまた彼の話す言葉も印象に残っているものが多く、私がまだ東京藝大の学生だった頃に非常勤講師として大学に来ていた時期の彼が語ってくれた「表現の手段には絵画があったり彫刻があったりインスタレーションがあったりするけれども、表現者にとって一番大切なのは“精神の状態”であって、それ故にそれはただ歩くといった行為を通じてさえ表現可能なものであると思う」といった言葉などは特に印象に残っていて、それはその後の私の画家人生だけでなく、私の人生そのものにも影響を与えてきた言葉でもある。 
私が保科豊巳さんに初めて会ったのは、東京千駄ヶ谷の能楽堂の隣にあった頃の河合塾の美術予備校に通い始めた一九八六年の春。その四月から私は成績優秀とのことで授業料全額免除の特待生としてこの予備校の油画科に通い始めたのだが、三浪目の東京藝大の受験に失敗したばかりだった当時の私はひどく落ち込んでいて、予備校に近いエリアを夢遊病者のように歩き、下宿先として探しあてた部屋が原宿駅からも近い神宮前にあった小池荘だった。そして、偶然にもその小池荘は東京藝大のデザイン科の教授と美術学部長を務めた経験のある小池岩太郎さんと所縁のある建物だったらしく、当時の大家さんの部屋では美術学部長としての小池岩太郎さんの名前の入った封書や、何かの賞をもらった時のトロフィーのようなものも見せてもらったこともあった。そして現在の美術学部長である保科豊巳さんは、当時は河合塾の美術予備校の主任講師であった。その予備校に通っていた時期には学校が終わった後、彼に千駄ヶ谷の飲み屋へ連れて行ってもらったこともあった。その際私は保科さんに「どうやったら東京藝大に合格することができるのでしょうか?」と聞いたことがあり、それに対し彼は「ただ漠然と描くだけではなく、自分が何に関心をもっているのかをきちんと認識しておく必要もあるのではないか」といったことを語ってくれた。そして当時まだ若かった私は彼に向って「今の自分に一番関心のあることは絵を描くことよりも、女とセックスをすることなのですが」と聞き返すと、彼が大笑いをしていたことが思い起こされる。 
保科豊巳さんとはもう十年以上も会ってきていないけれども、私の知っている彼は自分の人生をただ静かに楽しんで生きることを基本にしているタイプの人で、間違っても人を押しのけてまでして自分をアピールしていくようなタイプの人ではないので、一般の人達の間では現代アーティストとしての彼の名前を知らない人も少なくないかもしれない。しかしながら、そのような人が東京藝大の中の高い地位に就かれているということは、大学にとっては朗報のひとつなのかもしれないとも思えてしまうのだ。

(註:1)2016年4月からは東京藝術大学副学長に就かれているそうです

公開日 2014年5月22日 木曜日

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